子どもに本当に大事な事をうちあけてもらうには?/映画「君の名前で僕を呼んで」(2018年4月27日日本公開)
こんにちは、東京の水玉オリジナルバッグブランド「Saori Mochizuki(サオリモチヅキ)」のデザイナー望月沙織です。
映画「君の名前で僕を呼んで」(日本公開は2018年4月27日)を観てきました。
アカデミー賞の脚色賞を受賞した作品です。
平たく言ってしまうと、少年(エリオ)が少し年上の男性(オリヴァー)に恋をするお話です。
でもわたくしは、そこで語られる「同性」間の愛よりも、エリオを取り巻く彼と彼の家族との関係に目が行き、親子が本当にわかりあうにはいったいどうしたらいいんだろう、ということを考えてしまいました。
話は少し横道にそれます。
わたくしの父は、片手の人差し指を曲げる事ができません。
小さい頃、刃物で遊んでいて切ってしまったのが原因です。
というか、切ってしまったことを親に言い出せず、手遅れになってしまったのが原因でした。
刃物で遊んでいたことや、それで指を切ってしまったことを、祖父にひどく怒られるんじゃないかと思って隠しているうちに、指の神経を元に戻す事ができなくなってしまったそうです。
こういうことって、(程度の差はあるにせよ)子どもにはありがちです。
親にしてみても、子どもが危ない事をすれば当然怒るでしょう。
ただその時に、なぜ親は怒るのか、根っこの部分が子どもと共有できてないと、うちの父の人差し指みたいなことが起きてしまいます。
刃物をいじる事に対して怒る、そもそもの理由は、子どもを怪我や命を落とす危険から守りたいから、です。
極端な事をいえば、自分や他者を傷つける事がないのであれば、いくらでも遊んで構わないはずです。
でも、その本質が子どもに伝わらないと、うちの父の指のような、本末転倒なことが起きてしまいます。
このエピソードを、昔から折に触れよく聞かされていたわたくしは、自分に子どもが生まれた時、夫といろいろ話しました。
それこそ刃物を触ることや、信号無視、自転車の暴走などなど、怪我や命に関わるからやって欲しくない事はパッと思いつくだけでも山のようにあります。
でもそれを、単に恐怖政治を敷いてやみくもに禁止するだけではきっとうまくいかないだろうから、まずはあなたが健康で、元気でいる事が一番重要なんだ、ということを伝えようと思っています。
事故や怪我を招くような行為はそもそもして欲しくないけれど、万が一そういう事態に陥ってしまった場合は、とにかく真っ先におしえてほしいし、死にたくなるほど気持ちが滅入るような辛い事があった時には、死のうとする前に、おしえてほしい。
うちの子どもは今2歳なので、まだ言葉で意思疎通がきちんとはかれる関係にありませんが、将来的には、なんとかそこが子どもに伝わらないか、いまからあれこれ試行錯誤しています。
そんな観点からこの映画をみると、エリオと彼の両親は、実に理想的な関係を築いているように見えました。
エリオは、親と同居しているにもかかわらず、まるで親が存在していないかのように、自分の興味あるものや、やりたいことに没頭していて、自由にのびのびと生きています。
かといって、親子の関係が希薄な訳でもなく、ここぞという時には素直に親に助けを求め、すがります。
それは、エリオの親がエリオを丸ごと受け止めてきた証だと思いますし、それがきちんとエリオにも伝わっているからこそ、安心して弱い姿をさらすことができるのでしょう。
わたくし自身はまだ我が強すぎて、本当にまっさらに子どもの存在を受け止める、ということができていない気がしますし、実際に向き合ってみると、なかなかどうして、そう簡単なものではないということにも気が付きました。
将来、子どもが自分が思いもよらないようなことを言いだしたりやりだした時に、果たしてドンと受け止められるだけの存在でいられるのか、今は自信がないけれど、まだたぶん時間はあると思うので、少しずつ気持ちに柔軟性と筋肉をつけつつ、子どもと向き合っていきたい、そんなことを思った映画でした。
東京「日常をドラマチックにする」バッグ
Saori Mochizuki
デザイナー 望月沙織