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映画のタイトルから学んだ日本語と韓国語の違い

私の親愛なるフーバオ

 

韓国で初めて自然交配で誕生したパンダのフーバオ(福宝)が中国に返還されるまでのお話しを観てきました。

 

映画「私の親愛なるフーバオ」

https://fubao-movie.com/

 

南紀白浜でパンダにはまって以来、いろいろとSNSを観ていくうちに目に留まったのが、韓国・エバーランドでフーバオを担当していた名物飼育員カン・チョルウォンさんが進行役を務めるYouTubeチャンネルでした。

 

黒子に徹しているように見える日本の飼育員さんとは全く異なり、物理的にもパンダとの距離が非常に近く、飼育員さん自身の個性もはっきり際立っている(むしろ率先してカメラ前に出てくる)様子に最初はとても面喰らいました。

 

でもそのせいもあって、気がついたらバオ一家(フーバオの家族は全員名前に「宝(バオ)」がついています)にすっかり感情を持っていかれ、2024年4月のフーバオ旅立ちの日には、リアルタイムでYouTubeの中継を観ながら号泣しておりました。

 

それほどまでに張り付いて追っていたお話しなので、映画のあらすじには目新しいものはないだろうと思っておりましたが、2つの大きな理由がありまして、やはりこの映画はなんとしてでも映画館で観たいとずっと思っておりました。

 

1つは、大画面でフーバオ達のモフモフを感じたかったから。

 

そしてもう1つは、タイトルの妙とその日本語訳に、韓国語学習者として非常に強い興味を持ったから、です。

 

今回はこのタイトルのことについて、少しお話しをしてみたいと思います。

 

タイトルの日本語訳は本当に「良くない」のか

 

私の親愛なるフーバオ

 

韓国語の原題は

 

「안영, 할부지 (アンニョン, ハルブジ)」

 

です。

 

「안영(アンニョン)」

 

は、おそらく韓国語に詳しくない人でも、1度は耳にしたことがあるほど、韓国語では非常にメジャーな挨拶の言葉

 

「안영하세요(アンニョンハセヨ)」

 

 

「안영(アンニョン)」

 

です。

 

「할부지(ハルブジ)」

 

 

「할아보지(ハラボジ=おじいさん)」の赤ちゃん語のような言葉です。

 

日本語だと、「じいちゃん」とか「じっちゃん」「じいじ」みたいなイメージでしょうか。

 

カン飼育員さんは、中国から連れてきたフーバオのお母さんであるアイバオを父親のようにお世話してきたことから、フーバオ誕生後は、

 

「フーバオの할부지(ハルブジ)」

 

という愛称で親しまれています。

 

つまり韓国語の原題は、フーバオが舌足らずな感じで、おじいちゃん(カン飼育員さん)に呼びかけている言葉になります。

 

対して、日本語に翻訳されたタイトルは

 

「私の親愛なるフーバオ」

 

で、語りかける方向が「おじいちゃん(カン飼育員さん)」からフーバオへと、完全に原題とは逆になっているのです。

 

これに対して、「翻訳がよくない」という評判がSNS上でも散見されるのですが、わたくしとしては、いろんなことに悩み、一周まわって辿り着いた、すごく練られた訳のような気がしています。

 

その理由を説明するためには、まず飼育員のカンさん(할부지(ハルブジ)がどんな存在か、ということをもう少しお話しする必要があります。

 

絶大な人気を誇る「おじいちゃん」

 

韓国でフーバオは大人気です。

 

フーバオ返還直後の2024年の夏、わたくしはソウルのハンドメイドイベントに出店しましたが、その際お世話になった韓国人の通訳の方は、フーバオ返還時の韓国国内の様子について

 

「大統領が死んだってあんなに泣かない、っていうくらいみんな泣いていた」

 

と言っていて、思わず笑ってしまいました。

 

Saori Mochizukiのパンダポーチ

 

またわたくしのパンダ刺繍が施されたポーチをみた韓国人のお客さまのほぼ100%が、

 

「フーバオだ!」

 

と言うほどでした。

 

そんな大スターであるフーバオのお世話をし、YouTubeでこまめに様子を紹介していた飼育員のカンさんもまた同様に有名人であることは言うまでもなく、「カンバオ」と呼ばれるほどの人気を誇っています。

 

つまり、フーバオが「じいちゃん」と呼びかける相手は、他でもなくカン飼育員さんである、という暗黙の了解がほぼ全ての韓国人の方の頭の中には存在すると言っても過言ではありません。

 

一方の日本ではどうでしょうか。

 

カン飼育員さんは、わたくしのような一部のパンダ好き・韓国好きの間ではよく名の通った方かもしれませんが、韓国ほどポピュラーか、と言われれば、それは疑問です。

 

これを読んでいる方の中にも、もしかしたらカン飼育員さんの顔も名前も知らない、と言う方も多いのではないでしょうか。

 

そんな日本で、いきなりタイトルに「じいちゃん」という文字が踊ったとして、一体どれほどの人が理解できるでしょうか。

 

そうなるとやはりそこには「翻訳」が必要で、「じいちゃん」がどんな存在か、ということを一般的な日本人にも伝える必要が出てきます。

 

それを踏まえて、日本語翻訳タイトルの

 

「私の親愛なるフーバオ」

 

を見た時に、わたくしは、なるほどな、と思った訳です。

 

たとえカン飼育員さんのことを知らなかったとしても、この一言をみたら誰でも、

 

「ああ、この映画は、フーバオのことを大切に思っている『私』が、フーバオのことを語る映画なんだな」

 

ということが一目瞭然です。

 

前段の方でも述べた通り、

 

原題(韓国版):フーバオ→おじいちゃん

日本語翻訳版:おじいちゃん→フーバオ

 

という視線の方向性の違いはあるにせよ、映画の主軸である、フーバオと「おじいちゃん」の物語、ということを伝えるには、どちらのタイトルも見事です。

 

それでも伝えきれない原題の意味とは

 

ルイバオとフイバオ

 

とはいえ、実は1つだけ、日本語の翻訳タイトルで表現しきれていないものがあります。

 

それは、まさに

 

「안영(アンニョン)」

 

という言葉の持つ多様性になります。

 

日本人は、

 

「안영(アンニョン)」や

「안영하세요(アンニョンハセヨ)」

 

は、機械的に「こんにちは」という挨拶の言葉だ、と理解している人がほとんどかと思います。

 

それは確かにそうなんですが、実は「안영(アンニョン)」にはもっと複雑なニュアンスが含まれています。

 

日本語だと時間帯に応じて

 

「おはようございます」

「こんにちは」

「こんばんは」

 

と挨拶を使い分けます。

 

別れ際にも

 

「さようなら」

 

という言葉が存在します。

 

しかし韓国語ではそれら全てを

 

「안영(アンニョン)」

 

で表現できてしまうのです。

 

もちろんシチュエーションや相手に応じて、もう少し色んな言い回しや、他の言葉を付け加えた言い方なども存在しますが、基本的には、日本語の

 

「おはようございます」

「こんにちは」

「こんばんわ」

「さようなら」

 

を使うシチュエーション全てで

 

「안영(アンニョン)」

 

は使えてしまうのです。

 

この「안영(アンニョン)」のニュアンスを理解した上で、韓国語の原題

 

「안영, 할부지 (アンニョン, ハルブジ)」

 

を振り返ってみると、どうでしょう。

 

この世に生まれてきたフーバオが、「おじいちゃん」に向けて

 

「こんにちは、じいじ」

 

と言っているようにも取れますし、

 

中国へ去るフーバオが、

 

「さようなら、じいじ」

 

と言っているようにも取れるのです。

 

また、中国で2人が再会した時に

 

「おはよう、じいじ!」

 

と言っているようにも取れる・・・。

 

いずれにしても、韓国語ネイティブの方は、この

 

「안영, 할부지 (アンニョン, ハルブジ)」

 

という一言を見ただけで、フーバオと「おじいちゃん」のありとあらゆるシーンを頭の中に浮かべることができるのです。

 

残念ながら、日本語訳のタイトルではそこまでを表現することはできていないのですが、これが言葉の面白さ、多様性だな、と思った次第です。

 

そして改めて、外国語を学ぶ面白さを実感しました。

 

ちなみにわたくしが見落としているだけかもしれないのですが、この素晴らしい翻訳をなされた翻訳家の方のお名前が、本編・パンフレットなど、どこにもクレジットされていないことを非常に残念に思っています。

 

映画館でビックリしたこと

 

映画では、予想通りあっちこっちのシーンで泣きました。

 

また、カン飼育員さんの身に起こる、とある出来事と、最近自分の身に起こった出来事を重ね合わせて、さらに号泣したりもしました。

 

人生、踏ん張らねばならない時はありますね。

 

身構えていようといなかろうと、目の前に現れる難題にどう自分は向き合うのか。

 

その時に構えたところで間に合いはしないので、やはり日々、ちょっとずつ筋トレしていくしかないんだろうな、と思いました。

 

フーバオ

 

ところで、映画館のわたくしの席のお隣には「フーバオ」が着席したのでビックリしました。

 

フーバオファンの方が、フーバオが4ヶ月の時の様子を模したぬいぐるみを背負っていらっしゃっていて、ちゃんとフーバオ用の席も1席取られて、一緒に鑑賞されていたのです。

 

多分、あとにも先にも「パンダ」と並んで映画を観るのは、これ1回きりな気がしています。

 

そういう意味でも、非常に印象深い映画になりました。

 

よかったらみなさんもぜひご覧になってみてください。

 

映画「私の親愛なるフーバオ」

 

デザイナー 望月沙織

【Profile】

東京都町田市出身。

早稲田大学第一文学部演劇映像専修を卒業後、映像制作会社(株)パラダイス・カフェに入社。TVCM制作を担当した後、独立。映画の公式Webサイトデザインや雑貨デザインの仕事を経て、2012年にオリジナルバッグブランド「Saori Mochizuki」を立ち上げる。

 

趣味は各地の動物園巡り、相撲観戦、いけばな(草月流)など。

 

コロナ禍に観た「梨泰院クラス」をきっかけに韓国語の勉強を始めて現在に至る(韓国語能力試験5級・ハングル検定準2級)。