コンプレックスを救ってくれた職人さんとの出会い
こんにちは、東京の水玉オリジナルバッグブランド「Saori Mochizuki(サオリモチヅキ)」のデザイナー望月沙織です。
今日は、まだ革の知識が浅かった時に、どうやって革バッグを作ったのか、ということについてお話ししてみたいと思います。
(オリジナル革が生まれた背景についてはこちらから)
<前編>
<後編>
なんだかんだとコンプレックスが刺激されたことで、革への挑戦へと動き出したわたくしでしたが、当時はそもそも自分の手元に革を縫えるミシンと革漉き機(縫い代などの厚みを薄くするための機械)がありませんでした。
そして、革の扱い方に関しても、全くの素人の方に比べるとある程度のことは理解していましたが、まだ圧倒的に経験値が不足しておりました。
そうなると、縫製工場さんに依頼して縫ってもらうしかないのですが、工場に依頼するためにはかなりまとまった本数をお願いする必要があります。
布を使った定番系のバッグは、そこそこ売れ方が予測できるので、在庫を積むことも可能でしたが、未知の挑戦である革素材のバッグで、たくさんの在庫を抱えるのはリスクでしかありません。
どうしたもんかなぁ、、、と悩んでいたある日、twitter上で、バッグの縫製や革の扱い方について発信している方を見つけました。
恐る恐るtwitter上から話しかけ、「実は、ほんの数本から、こんな形の革バッグを縫っていただける方を探しているのですが、、、」とご相談したところ、
「わたしでできることならお手伝いしますよ」
と快くお返事をいただけてびっくり。
それが、関西でバッグ職人をやってらしたYさんとの出会いでした。
その当時のうちのブランドは、よく大阪の百貨店でも催事をやっていたので、これまた恐る恐る、「もしよければ実際に売り場でうちのバッグの実物なぞ、ごらんいただければ、、、」と持ちかけると、これまた「いいですよー」と、会場までいらっしゃってくださったりしました。
まだ仕事を頼んだ訳でもない、どこの誰ともわからない人間に対して、あれこれフットワーク軽くいろいろ動いてくださったことに感動しました。
というか、恐る恐るという割に、次々に要望をぶっこむ自分の図々しさにも笑ってしまいますが、この辺は、映像の制作会社で色々とハードな交渉ごとを担当してきてよかったな、と思う部分でもあります(初対面の方にお願い事を持ちかけることに関しては、百戦錬磨の経験があるので…)。
なにはともあれその後、Yさんには実際にうちの革バッグを、本当にびっくりするような小ロットで縫っていただけることになったのですが、当時よりも革についての知識が身についた今振り返ってみると、あの時は知らなかったとはいえ、ずいぶん乱暴な発注の仕方をしていたことに気付き、なんだかYさんに申し訳ない気持ちがこみ上げてきます。
それでもYさんはそんなことはおくびにも出さず、それどころか、
「ちょっとこの部分が納得いかない仕上がりになりましたので、この1本に関しては工賃はいりません!」
と自ら申し出てくださるような、自分に対してもとても厳しい審美眼を持った方でした(その1本は、本当に小さな傷が、大差に影響のない部分に入っているものでした。確かに売り物としてはどうかな、、、というものではありましたが、Yさんの人となりや仕事への向き合い方を思うと、お支払いしない訳にはいかないと思い、きっちり満額支払わせていただきました。そしてその1本は、今でもわたくし自身が活用しているバッグとなっています)。
そんなこんなのデコボコ2人3脚で作った革バッグは、生まれて初めてやる香港でのイベントが初お目見えでした。
初海外。
初総革バッグ。
価格も、普段売っているバッグの2倍以上するものなので、一体どうなることかと思っておりましたが、商品を広げるや否やポーンと売れてしまったので、びっくりするやら嬉しいやらいろんな感情が心に渦巻きました。
帰国後Yさんに、「お陰様で売れましたよ!!!」という手紙とともに、悪ふざけ半分で買ってきた、いやげもののブルース・リートランプをお送りしたら、
「家宝にします!!」
という返事が届いたので、爆笑しつつ、あぁこの人に出会えて本当によかったなぁと思いました。
その後この総革バッグは、金沢の古い町家の畳の上に並べて販売するなんていうちょっと変わったこともやったりしました。
その辺のことについてはまた引き続き思い出していきたいと思います。
東京「日常をドラマチックにする」バッグ
Saori Mochizuki
デザイナー 望月沙織